1.17

2007,01,17
Comments 0
by 天上 博規

神戸の街

今日は個人的な日記を書かせて頂きます。

というのも12年前の今日は
本当に人生で最大の試練と学びを与えてくれた長い長い一日でした。

1995年(平成7年)1月17日(火) 午前5時46分52秒

当時、中学1年生の冬休み明け

結果、死者数が最も多かった神戸市東灘区の自宅で僕は被災しました。

中学生の心には到底、理解出来ない自然の驚異から
地震がおさまっても体の震えはおさまりませんでした。

自宅のまわりにはマンションが多い為に
倒壊した家屋はなく

「そんなに大した地震じゃなかったのかな?」
と勘違いしてしまう程でしたが

家から数分の通っていた中学校に
今のバンドスタッフの倉田君と行ってみると
校舎が倒壊し、窓から机や椅子が投げ出され
昨日まで部活動で汗を流しては走り回っていたグランドには
底なしに深い亀裂が入っていました。

そして街を歩いて被害を確認していくと
そこには[戦後の日本]の映画の様な光景が広がっていました。


家が潰れて、中には子供がいると助けを周りに求め泣く人
顔から血を流しながらも、他人を救援する人
そして家の下敷きになってしまい救出されたが息を引き取り
道路に投げ出されたままの人


およそ子供の瞳にはあまりにも強烈過ぎて
一言で言えば
「何が起きたのか未だに分からない」
という状態でした。

その間も常に震度4~5の余震が何度も続く状態で
気が付けば時間は昼を過ぎていました。

その後、電気もガスも水道も止まった状況から耐えられなくなり
親戚の家がある、まだ被害が少なかった西宮に移動して生活していました。


あれから12年が経った今日、色々と考えてみると
確かにあの日は人生の大きな節目だったのだと思います。

死を間近にした人を、この目で見て
助ける力も勇気もない自分の弱さを感じて
そして、他人でも助け合いながら生きていく人の優しさを知って
12年間でどんどん復興していく街を見て生きて来ました。

水をもらいに片道1kmの道を10往復して水を貰い
風呂場に溜めて使った事でコップ一杯の水の大切さを知って
部屋に電気が付いた時は家族揃って拍手して喜びました。

自衛隊からの救援物資をバケツリレーで見知らぬ人と運んで
炊き出しの豚汁をもらう為に2時間並んで
家に持って帰った時の家族の笑顔に救われました。

人生において必要なものは
「水⇒電気⇒ガスだな」なんて友達と語ったりもしました。

そして亡くなった友達もいました。


地震直後、悲壮感に満ちた幼い僕の心に一筋の光を射してくれた
道行く他人の言葉があります。


「こんな経験は生きてる間でなかなか出来ないよ!神戸に住む人の財産だよ」


潰れて燃えた商店街は当時の傷跡を残しながらも
笑顔溢れる人々の生活の場へと戻りました。

机や椅子が飛び出して、倒壊した中学校も今では
建て直されて綺麗な校舎で震災を知らない子供達が走り回っています。

今日は、そんな目でこの街を歩いてみたいと思います。

編集後記
地震から一番学んだ事は
人が本能的に持つ優しさでした。

助け合い、譲り合い、励まし合う
人の温もりが今も忘れられません。

情報化の社会の中で
[心]の部分が問題視されていますが
大丈夫でしょう。

人は思っている以上に優しく、強いものです。
そう信じていたいと思います。

Comments

Post a Comment

Name
MAIL
(メールアドレスは表示されません)
Web
Comment

(投稿に時間がかかる場合があります)