僕は日々、何に苦悩し、何に希望を見出しているのだろうか?
そして、どこに向かおうとしているのだろうか?
それは25年の人生では到底、答えは出てきやしない。
それどころか、もしかしたら自分が望む未来とは真反対の方向へ
今の僕は爆走しているのかもしれない。
僕のこの性格は、この表現方法は、この夢は、
どこから出てきているのだろうか?
不意に[自分]がもっと知りたくなった。
そこで、自分のブログという事もあって
自分の秘めた想い全てをありのままに綴ってみたい。
エッセイというよりも自伝(?)に近い様な感じ。
僕はもっと[自分]を知りたい。
それが、これから進むべき道を照らしてくれそうな気がしてならない。
◆孤独を隠す様に、明け暮れた日々
幼少時代の記憶として今でも強烈に憶えている事がある。
1981年の8月の炎天下の中に産まれた僕の人生は
3歳の時に大きな岐路を迎える。
父親、母親、姉の4人家族だったので
昼間は母親と2人で
学校から帰って来る姉と
仕事から帰って来る父親を待つのだが
とある日、昼寝で僕が寝ている時の事だった。
母親が「博規が寝ている、この隙に買い物に行って来よう!」と
一人で買い物に出かけてしまった。
眠り続けていれば良いものの
運悪く嫌な胸騒ぎを覚え目を覚ました僕。
家を見渡すと誰も居ない。
いつもは近くにいるはずの母親の料理をする物音もしない。
大声で母親の名前を呼んでみるが、声はむなしく響くだけ。
急に孤独感というか・・・大きな不安に襲われ
なぜか僕は家を飛び出してしまった・・・。
大声で泣きわめきながら
「お母さんがいなくなった~~」
と近所を走りまわる。
3歳の子供が夕方に一人で泣きながら走っていると
そこにパトカーが通り過ぎた。
警察官が僕に[名前と住んでいる場所]を必死に聞くが
何も答えれずに泣き続けていると、困り果てた警察官は
僕をパトカーに乗せて警察署に行くという。
10分前まで家で寝ていたのに、気がつけばパトカーの後ろの席に座る僕。
警察署に行く途中に買い物帰りの母親を発見!
母親は本当にビックリしたと思う。
寝ている間に買い物に行って、帰って来ると息子はパトカーに乗って登場。
ワケが分からなかったに違いない。
安心した途端にまた大泣きする僕。
事情を母親に伝える警察官。
呆気に取られる母親。
それ以降、母親は必ず買い物には僕を連れて行くようになった。
3歳にしてパトカーに乗ってしまったのだから・・・
3歳を過ぎると家の事情もあって、母親は仕事をする様になった。
当然、昼間に僕の面倒を見る人はいないから
僕は幼稚園に行くことになった。
そして僕は幼稚園に行くのが大嫌いだった。
なぜなら、仕事のせいで
母親が迎えに来るのがいつも最後だった。
さっきまであれだけ大騒ぎしていた教室に残っているのは
僕ひとりだけ。
楽しく一緒に遊んでいた友達が1人帰り、2人帰る。
つまり理由はパトカーに乗ってしまった時と同じ。
[孤独になるのが嫌だから]
こんな寂しい思いをするくらいなら
最初から幼稚園なんか行かない方がいい。
子供心にそう思っていたと思う。
目覚めた瞬間に誰もいない恐怖感に怯えたかの様に。
小学校に入っても事態は変わらず
仕事が忙しくなった母親は余計に家を空ける事が多くなり
必然的に僕は鍵っ子になった。
学校が終わって家に帰っても夜まで誰も帰って来ないから
学校の近くの児童館に預けられる。
小学校が終わり、友達がそれぞれの家へ帰る中で
僕だけが、家とは違う方向の児童館に戻って行く。
児童館に行く事で学校の友達とは遊べなくなり
僕は退屈な毎日をただ消化する様に過ごしていった。
児童館には確かに何でもあった。
ファミコン、漫画、人形、おもちゃ
何一つ手を付ける事なく、僕はひとりで児童館の向かいの公園にある
ブランコに乗っていた。
◆命を救った名前の改名
もうひとつ3歳の時に起きた大きな出来事。
それは名前が変わった事だった。
産まれた時の僕の名前はヒロキではなく、ヒトシだった。
それが3歳の時にヒロキに変わった。
名前を変えた理由は馬鹿馬鹿しく思えるかもしれないが
とある姓名判断の人に言われた一言だった。
「この子はヒトシという名前のままだと3歳で亡くなります。」
馬鹿じゃないかと笑って済ませれる事も出来たと思う。
それでも親心というのは奥深い愛情そのものであり
両親は名前を変える決断をしてくれる。
しかし、名前というのはそんなに簡単に変えれるものではない。
市役所に言ってハンコを押して、新しい名前を届ければOKなんて仕組みだと
犯罪者はみんな名前を変えてしまうだろうし
気分でコロコロと名前を変える人も出て来るだろう。
名前を変えるには、それ相応の理由が必要で
裁判をしないといけない。
しかし・・・「息子が占い師に名前を変えないと死ぬと言われた。」
という様な理由が裁判官に届くわけもなく
却下され続け、最後の裁判の日になった。
最後まで裁判官に訴え続けてくれた母親の願いを
運良く聞き入れてくれた裁判官の言葉を母親から聞かされた。
「お母さん!この子の名前を変えるのは遅くないですよね!この子は助かりますよね!」
その瞬間に涙が溢れて本当に嬉しかったと。
そして僕の名前は博規(ひろき)になった。
これだけで、この話は終わる様ではなんて事はない。
続きがある。
名前を変えた1ヵ月後に僕は姉と道路を歩いていた。
後ろを見ずに道路の真ん中に飛び出した僕は
走って来た女性が運転する乗用車にはねられてしまった。
今でもあの瞬間の光景は全て鮮明に覚えている。
僕をはねた車の運転手の女性の引きつった顔
慌てて動転する姉
それでも僕は奇跡的に無傷で助かっていた。
運が良かったという問題ではなく
僕の中では、あの瞬間から[生かされている]という人生観が芽生えた。
多分、裁判で名前を母親が変えてくれなければ
僕の人生はあの瞬間に終わっていたに違いない。
これから出会う人も、LEGONIC TRAPもBUZZCOMも
何もかもが[無い]存在になっていたと思う。
天上 博規という人間は存在していなかった。
今でもあの光景を鮮明に覚えている事が何よりも、その証拠だろう。
神様というのが存在するのなら
「君は、これからもっと大きな事を成し遂げていかないといけないんだよ!こんな場所で人生を終えてはいけない。君は生きる事の大切さをもっともっと多くの人に伝えないと駄目なんだよ!」
と言ってくれている様な気がしてならない。
そんな感じで僕の3歳という1年は
孤独を知り、親の温もりを感じ、生きる事の大切さを身を持って経験した
人生の岐路そのものだった。
<第二章 : 仲間 へ続く>