理想と現実のギャップの埋め方と優しさ
2008年05月13日 13:32
昨日、"自分の力の見極め"という内容でブログを書いて、Mさんがコメントをくれて自分の中で更に考えた事があった。
「死にたい」って思う人って理想や現実に追い込まれたのが原因ではなくて
そんな理想や現実に対応出来ない自分を認めたくなくて、「死にたい」って思ってしまうんじゃないかという話だった。
精神科医の先生のブログを読んでるんだけど(これが面白い)、そのブログには
「自殺をする人はプライドが高い人が多い」という文章があったのを憶えている。
自分で自分を許せないから、自分で自分を傷つける。
言葉にすると怖い程にシンプルだけど、そうなのかもしれない。
GLAYのTAKUROが自身の著書"胸懐"でこんな事を書いていた。
(凄く良い本なので読んでみて欲しい。)
(以下引用)
もし最初から理想に拘泥(こうでい)していたら、とても長続きしていなかったと思う。
バンド活動をするには、とても理想的な環境というわけではなかったけれど
僕たちはとりあえずその時点でできることに専念した。
こんな状況じゃとても夢は叶えられっこないと、捨て鉢にならずに努力を続けられたのは、GLAYが妥協をするバンドだったからだと思う。
僕たちは、今の自分たちの実力だったらこんなものだろうなというジャッジが、ものすごく早い。
いいことなのか、悪いことなのかわからないけれど、自分たちの現段階での実力はここまでと見切りをつけて、その上で自分たちを納得させられるかが問題なのだ。
多くのミュージシャンは、このあたりのことがコントロールできていないのではないかと思う。
ただ無我夢中で、理想の音を追い求めるうちに、自分と折り合いがつけられなくなっていく。
自分に見切りをつけずに、どこまでも理想を追い求めるのは素晴らしい事のように聞こえるけれど、僕は必ずしもそうとは思わない。
たとえば2年後に武道館でライブをやろうということになったとする。
武道館をマラソンのゴールと考えるなら、最初の1年は滅茶苦茶足が遅くたっていいと思う。
ラスト1年で、武道館に着けるように頑張って走ればいい。
極端にいえば、前日まで遥か彼方の存在であっても、その次の日の1日でゴールに辿りつければいいじゃないか。
そういう剛胆(ごうたん)さというか、芯の強さを、面白いことにGLAYのメンバー全員が共通して持っていたということが大きかった。
そこで目標がぶれてしまったら絶対に駄目だけれど。
武道館が駄目なら、どこかもっと小さいホールにしようなんていう、意思の弱いことではどうにもならない。
しっかり目標を見据えて、努力し続けることができるなら、妥協は決して悪いことじゃない。
この現実の世界で、大きな夢を実現していくには、むしろ必要なことだと思う。
僕らは「見切りをつける」ことの、価値を知っていたのだ。
どんな高い山であろうと、今自分たちがいる場所から、足を踏み出さなければ登り切ることはできない。
自分たちの立ち位置から、頂上までの距離を計算し、今なにをすればいいのかをいつも真剣に考えながら、僕らは1歩ずつ着実に進み続けた。
夢は大きいけれど、現状に高望みをしなかった。
目標と現状のギャップに目が眩(くら)み、こんなはずではなかったというジレンマに陥(おちい)り、消滅していったバンドは数知れない。
それが何千段になろうとも、僕らは目標と現状の間に梯子(はしご)をかけて、その1段1段を登っていくことに賭けたのだ。
(以上)
このTAKUROの言葉は実は夢を叶える為に必要な事だけではないような気もしている。
(だから、ここで紹介した。)
妥協をする事は悪い事ではない。
逆に、妥協した事も、済んでしまえば以外とチッポケな事だったりする事も後で気付く(事もある)。
現状に自分が納得出来ないなら、その眩みに立ち尽くした後に、少しだけ現状を受け入れてみて欲しい。
その小さな現状を受け入れた成果が、もしかしたら大きな一歩になるのかもしれない。





天上 博規
