朝青龍の引退後、様々なメディアがその後の報道を繰り返す。
個人的に色々と感じる事も多く、すでに相撲界から引退したのに未だに過去の様々な不祥事を引き抜いては、それに関連付けた様に「格闘技へ転身か?」など憶測を流している。
「もう放っておいてあげたらいいんじゃないの?」
と思うのだが、どうも日本人は朝青龍というモンゴル人の29歳の青年がお好きでないらしい。
相撲という国技の横綱には単なる相撲というスポーツの王者という意味以外にも様々な付加価値が求められる。
心・技・体のすべての面において充実を求められ、土俵上でもプライベートでも「品格」が期待される。
この「品格」という言葉にまさしく朝青龍は引退へ追い込まれたに違いない。
そして、この「品格」という言葉こそが自分自身の喉に引っかかっていた違和感の正体だった。
朝青龍の数々の破天荒な言動は国技の最高峰にいる選手として見ると責められるのは当然だし、今回の泥酔暴行騒動も弁解の余地はないと感じる。
しかしメディアで報道されるコメンテーターたちが言う「横綱の品格」という1点だけを持ち出して糾弾する姿には違和感を憶える。

「●●の品格」というタイトルにすれば本が売れてしまう、この時代はまさしく誰もが「品格」に飢えているかの様に感じる。
それは戦後の日本が経済成長と引き換えに失ったもののひとつが「品格」だったからだろう。
忍耐・誠実・慈愛・勇気・・・日本人の美徳の多くを失ってきた。
そもそも相撲界に話を戻すと朝青龍に日本人としての、横綱としての「品格」を伝える必要があったのは師匠の高砂親方の役目だった。
それ以上に相撲協会全体で外国人力士を受け入れるなら教育体制を整えるべきだった。
その相撲協会において元横綱審議委員会委員の内館 牧子は最後の最後まで朝青龍の横綱における品格を否定し続けたが、コメントから感じるのは単純に朝青龍が嫌いという個人的な妬み。
多分、朝青龍に「品格」を教育できる人などいなかったのだと思う。
国自体に「品格」が問われる今の時代に誰が教えれるのか。
朝青龍が引退会見をしたその日、政治資金規正法違反で不起訴となった政権与党の幹事長は政治的、道義的責任をとる気はなく、ほおかむりを決め込んでいる。
誰が朝青龍の品格を否定できるのだろうか。
今、ワイドショーなどの報道は本質を見れば、すべて「品格」の欠如を叩き合うものになっている。
モンゴルの大草原からやってきた16歳の少年は、その負けん気と身体能力の高さで日本の相撲界の頂点になり、日本が失った「品格」の標的となり、土俵を飛び出した。
朝青龍を失った相撲界はこれからどうなるのか?
ひとつ言える事は、これで朝青龍は伝説になったという事実だけだった。


